不安障害の記録

断酒ライフを満喫する生活日記

断酒740日目 過去のパワハラを想起する③

デイサービスセンターRは6年か7年働いたかな。色々苦労したと思う。主任になった人とうまが合わなかったかなぁと。特養と併設している関係で他の職員が特養経験者ってことで、重介護者の介護に慣れた人が多くて、絶えず他職員と比較してしまい辛かった。心療内科通いは続けていた。

 

精神的にキツかったのと別のところで経験を新たに積みたいってことで退職。当時働いていた同僚の紹介のグループホームへ転職。も、夜勤と通勤がしんどくて7カ月くらいで退職。別のデイに転職しましたよ。でもそこのデイも3カ月くらい働いて慣れる間もなく異動。ショートへ移りました。

 

そこのショートが最悪でね。リーダーがヤバかった。なんせ挨拶もろくすっぽしないし、自分がやりたくない仕事は人に押し付けるし。自分も基本鬱だし、強く言えない人間だったからいいなりになるしかなかったんだけど。

 

夜勤も1人で、16:30~翌10:00まで。長い…。しかも一人だから基本休憩無いよね。適当に暇な時に休んでってスタイル。(今思えばその時点でヤバいよね)

で、特に嫌いな利用者がいて、介護拒否で殴るは噛むわ。そんな利用者を受けていてカンファレンスも適切なアセスメントもせずだからね。リーダーはその利用者と関わりたくないから全部自分に押し付け。

 

もうしんどくて辞めるって言ったんだけど、そこの会社の就業規則では退職は3カ月前に言わないといけないことになっていて辞めれるのは3カ月後。

 

もう仕事に行くのが怖くなってTwitterで「死にたい・死にたい」ってつぶやく日々。希死念慮が強く、練炭を買っていつでも死ねるように準備してある有様。今にして思えば、母親も45歳で病死していてその年齢になっていたから45歳ってところで思うところもあったのかな、って思うけど。

 

ある日、仕事の休憩中、もういいや…ってなって途中で職場を抜け出し、練炭を持って市内某所へ。自●を図ったわけです。

 

今にして思えば、不満とか憤懣とかもっと外に表現して良かったし、死ぬくらいなら怒りを激しくぶつけていけばよかったんだよね。変に我慢強いところがあるから、昔から我慢に我慢を重ねてストレスを酒で解消しようとしたり、(実際にはなにも解消されてないけど)。辞めるなら「体調が悪いのでもう出勤できません」って言えばいいんだよね。行かなきゃいいだけなんだわ。

 

今ならそう思えるんだけど、当時はなにせおそらく世間を知らなかった。辞め方を知らないっていうか。

 

もっと感情の赴くままに行動してもいいのではないのかな、って今は思えるんだけど。

自●を図ったり酒におぼれたり、酷い過去3年間だったけど。

よくここまで立ち直れたなぁ、って思うよ。失うものもあったけど…。とりあえず生きていて良かったと思います。