不安障害の記録

断酒ライフを満喫する生活日記

断酒5日目 初雪

起床8時。夜中に何度か目が覚め充分寝た感じがしない。

 

午前中はなんか億劫で寝ていた。

 

午後から父親宅へ。自殺未遂以降預けてあったカバンを取りに行くため。運転中霙まじりの雨。札幌は今日初雪らしい。

 

父親宅へ。父曰く「昨日退院したの?」…

はぁ?大丈夫かな。この人。先月退院前に話してあったんだけどな。

 

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Sapporo餃子製造所の定食です。美味い。

 

帰宅。カバンを確認すると、紛失していたドラレコのカメラやらETCのカードが見つかる。良かった。ガラスの破片が混入しており掃除機で吸い取る。

 

こんな一日。とりあえず今日も飲まずに過ごせました。明日は…また明日考えよう。

断酒4日目 ハロワ

7時起床、厳密には6時に目が覚めていたけど布団の中でぬくぬく。

 

朝食後、不安感あり。お薬服用。

 

午前中はメンクリ。4週分の薬をもらう。内容は変わりなし。ドグマチールとか飲んでて意味あるのかな、とも思うが。

 

昼飯は自炊。パスタを作って食べる。

 

午後からハローワークに行きたかったけど、その前にシャワーを浴びたい。しかし、これがなかなかハードルが高い。億劫だったが何とかシャワーを浴びる。

 

そしてハローワークへ。少し緊張。検索機で少し検索し、やめてしまう。とりあえず今日は求人活動実績を残せた。また近いうちに行くつもり。

 

帰宅すると疲れが。一眠りしたらもう真っ暗。

今日一日を無事に過ごせました。

不安のなかで生きる。

昨日は久しぶりに登山。馬追丘陵の瀞台~長官山へ。彼女と一緒に。

 

しかし、低山と舐めていたが距離が長く最後はバテバテ。彼女と喋る元気もなくなる。

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彼女につまらない思いをさせたかなぁ、と自責の念。

 

そして、連休明けの今日。燃えないゴミの日。自殺で使った七輪とか練炭を含むゴミ出しをなんとか時間までに済ます。忌まわしき物を処分出来た。

 

そして、タイヤ交換。冬タイヤを車に載せなければいけない。体力の落ちた自分には重労働。なかなか身体が動かない。10時にしようと思っていた作業。結局12時まで先延ばし。

やっとのことで車屋へ。作業には2時間待たされた。その間不安。

 

作業終了し帰宅。タイヤを倉庫に戻す元気が無く積みっぱなし。明日メンクリだからその前にやってしまおう。

 

4時をすぎ暗くなる。不安に襲われる。胸のなかに重しがあるような胸苦しさ。

 

いつまでもこんなことで時間を費やすわけにはいかない。金も減っていく。仕事を見つけないと。焦燥感と不安感で辛い。また明日どこまで頑張れるか。ゆっくりすれば、というアドバイスもあるし。どうすればいいのかな。

退院後

身体が重く、なかなか動く気になりませんでした。

 

車を修理したくて、ディーラーに出しましたが、自殺未遂で破損したとは言いづらく、体調不良ということにしました。

 

調子がいいな、という日があって藻岩山に登りました。

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紅葉が綺麗でしたね。

しかし次の日筋肉痛。やはり1ヶ月半の入院でかなり体力(特に脚)が衰えましたかね。

 

ハローワークに求職手続きをしました。今日、10/31雇用保険説明会に行ってきます。

 

しかし、今後自分がどのような職につけばいいか、定まっていません。貯金はまだ持ちますが不安。あまり選んでられないけど、また精神的に負荷がかかっておかしくなるのはごめんですね。悩みます。

入院生活

精神科閉鎖病棟の入院生活。最初は個室でしたが数日で4人部屋に移されました。

 

落ち着いてくるといろいろな不安、心配事が付きまといます。破損した車がアパートの駐車場に停めてある。警察に割られてウインドウが破損しているから不用心この上ない。金の問題。仕事の問題。仕事は自死決行の2週間後に自己都合退職になりました。そうすると保険の任意継続切り替えも必要になります。しかし、閉鎖だから郵便を出すのも大変。いちいち外出届けを出して、歩いて15分程度の郵便局まで歩いたり。まあ、いい運動にはなるけど。

 

入院中、何度か自宅に帰宅しています。郵便物の確認とか。北区と豊平区は離れているので大変。

 

お金の問題。医大が高度救急救命を受けたので高いんじゃないかとビクビク。しかし、限度額認定証を予め申請ゲットしていたおかげで6万程度で済みました。

 

車と金のことで不安であまり入院中も気が休まらず、時に死にたいと思うことも。時折くる彼女からの電話が救い。

 

入院後半は庶務が片付いて、落ち着いて過ごしていましたが閉鎖病棟はストレスが貯まります。スマホも持ち込めないルールでした。人間関係もあるし。退屈で寝ていることが多かったです。体力も落ちます。主治医に退院を打診。リワークを勧められ、病院でやっているリワークを体験させてもらいました。(あまり興味無いかな~)10/15退院し、自宅に戻りました。

入院

8/25某医大病院のICUへ。胃洗浄もしたらしいが全く覚えていない。意識を回復してしばらくして人口呼吸器も外された。「あぁ、助かった。助かってしまった」というのが率直な感想。

体調面の治療も受けながら精神科の医師の診察も受け、今後どうするか。帰宅するか、精神科に転院するか。(医大の精神科は満床とのこと)

 

結局、過去にかかっていたこともある北区の精神科へ転院、これは自分で希望した。

 

8/28医大を退院し、市内僻地の精神科へ。親も同伴。先に心理士によるカンファレンス、その後待たされてラストで外来受診。女医さんでした。優しそうな。入院は任意。治療期間は3ヶ月以下。「え!3ヶ月も!」と驚いたが、その時は流されるまま病棟へ。

 

そこは閉鎖病棟でした。まさか自分が閉鎖病棟に入るなんて、、、、。ショックでした。しかも、持ち物はほとんど没収。

 

部屋は個室でした。ただただ横になって涙を流すのみ。自死決行の場所を間違えた、という後悔。死にたかった、これから自分、どうなるんだろう、という思いで涙があふれる。

続きます。

今までの経過

前回ブログ8/23の翌日、僕は職場を途中で出奔した。死にたい。。死にたい。。

 

日々のストレスの積み重ねでパニックだったのかもしれない。死のうと決めた。

 

あらかじめ用意してあった七輪と練炭、そして多量の睡眠薬。これらを持って定山渓の某所へ。眠剤をビールで飲み干し、車内に練炭を炊いた。もう本気で死ぬつもりだった。気を失う。

 

気づくとそこは病院だった。人工呼吸器がつけられ話すことができない。聞くところによると、夜中通りがかった人の通報を受け、警察消防に救出されたらしい。車は窓ガラス破損。

 

生き残ってしまった。8/25だった。続きます。